居多ヶ浜記念堂と慧眼門 |
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インドでお釈迦様によって説かれた仏教は、「人の済い」を本願にシルクロードを通って伝えられた。それがある時、人の済いを忘れた仏教界によって「人の済い」を説いた念仏一門が弾圧された。そして善信(ぜんしん)は承元元年(1207)恩師法然上人と共に流罪となった。法然上人は土佐の国、善信は還俗させられ藤井善信(ふじいよしざね)となって越後国国府に遠流となった。京都より歩いて来られ木浦より舟に乗り、この地居多ケ浜に上陸された。 |
居多神社に参詣され「未遠く法を守らせ居多の神、弥陀と衆生のあらんかぎりは、の歌を詠んだ所、一面の葦が片葉になったという。この地で罪人としての生活を送りながら、田畑を耕す事によって民衆と共に歩み、初めて念仏が伝わった。生活の場での「民衆の念仏」がここに発祥したのである。この念仏は「御恩報謝の念仏」でもある。かくしてこの地がシルクロードの最終着点である。藤井善信はここで自ら愚禿親鸞と名告って僧俗の別なく生きた。七年後親鸞聖人は関東目指して出発されていった。「人の済い」のために。かくしてこの地は出発点である。 親鸞聖人は「見真大師」と敬われている。その号によって八角堂を「見真堂」という。檜皮葺きの小さな門を「慧眼門」という。大無量寿経に出てくる「慧眼見真」である。この門をくぐって親鸞聖人に出会い、この門から出て悩みの世に出発しよう。 |
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居多ケ浜に上陸された後、「国分寺」境内の「竹の内草庵」に住まわれた。聖人自ら刻まれたと伝わる「御自刻御真影」が安置されている。近くに「鏡ケ池」「養爺清水」がある。聖人は後に「竹の前章庵」に移り住まわれた。この草庵跡に「国府別院」が建立され聖人「袈裟掛けの松」などがある。
近くに聖人のお弟子「覚円房最信」の創建による「光源寺」があり「流罪勅免御満悦の御影」が正面に居られる。 |
親鸞聖人坐像 竹の内草庵 |
名前 |
居多ヶ浜記念堂 |
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住所 |
新潟県上越市五智6-3-4 〒942-0085 |
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TEL |
TEL 025-543-0536 |
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会堂期間 |
3月15日〜11月30日 |
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連絡先 |
林正寺 上越市住吉町1-1 〒942-0002 TEL 025-543-2726 |
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